冬は霧の出番が多くなる。
    生命のあふれる春へ備えてさまざまなものが静寂に眠るからか、
    ひそめた吐息すらもたやすく空気を揺らして鋭敏に伝わってしまうこの季節は、どうしてもその手を取ってしまうのだ。
    己も、相手も。その事態を良しとしていないことを分かっていながらも。
    炎を収束させるのと同じ速さでざわりと背をなでた感覚に、覆うよう幻が広がったのを認識する。

    「……撒けた?」
    「まだですね。錯乱には至っているようですが」

    今の綱吉にはまるで察知できぬ気配を探っていたのだろう。細めていた瞳をちらりと横目に向け、骸が否という。
    近い。淡々としたその報告に気が重くなる。
    全く、厄介なことこの上ない。
    承知のうえの襲撃とはいえ、相手は狙ってきた立場。払っても払っても湧き出る煩わしさに何とも面倒だと嘆息がこぼれる。
    と、軽く俯かせた耳に吐き出された息だけでなく、ぱたぱたと地を打つ音を拾って眉をしかめた。
    無言のまま持ち上げた綱吉の腕の中頃。受けた時間は正確に把握していない傷を間近に見下ろす。
    3日もすればかさぶたが出来るだろう些細な裂傷とはいえ、現状ではひどく困らされる存在だ。

    「骸」
    「血の跡なんて下手なもの、残すはずもないでしょう」
    「あー…臭いは」
    「相手方がどう香っているか、知りたいですか?」
    「結構です余計な心配でしたすみません」

    高速で首を振り、一息で綱吉は“NO”と伝える。骸の悪趣味な惑わしなど知らないに越したことはないのだ。
    悪臭ならまだしも食べ物や花の匂いなどに置き換えられていたりしたら、笑えない。
    ぞっとしない想像に頬を引きつらせながら、ともあれ、抑えられる手間なら抑えるべきだろうとポケットの奥からハンカチを取り出す。
    だが、
    じわりと血を滲ませる左手へのせながらどうにか巻こうと格闘するも、半端な位置のせいか右手と口だけでは上手くいかず、綱吉の焦りを煽る。
    早く、終わらせてしまいたいというのに。
    『ダメツナめ』とお馴染みのセリフが脳裏をよぎって、ついでにこのままじゃ100パーセント幻聴で済まず、
    手痛い指導と共にこの身に降りかかるだろう憂鬱さがなおのこと綱吉の動きをぎこちなくさせた。

    「ありえないほど不器用ですね」
    「っ、これでも、精一杯やってるんだっての」

    さっくりと指摘され、黙っておれぬ気質のまま反論すれば、するりと流れ落ちるシルクの手触り。
    慌てるよりも土に汚れるよりも、先に
    骸の指がそれをさらった。
    さらって、なぜか長い指をそのまま綱吉へと伸ばしてくる。

    「骸?」
    「下手くそ過ぎて見ている方が苛々します」
    「て、お前、普通の手当てできるのか」
    「ええ、貴方の過保護で暴走気味な右腕がどういう反応を返してくれるのか、非常に興味がありますからね」

    普通に、貸しにしてあげますよ。言って結ばれた俄かづくりの包帯は弛みなくきちんと止血をしてくれて。

    「僕の予想ではものすごく嫌そうな顔で言いたくもない言葉に盛大に口元を歪めながら、ようよう、
     吐き捨てるように『よくやった』と言うと思うんですけど。どうですかね?」

    なんて。趣味悪く笑う。
    その骸の横顔に何かを返す間もなく。
    綱吉と骸、二人を不穏な空気が包んだ。
    だから、これは綱吉の胸のうちにだけ囁かれた言葉で。

    ―――どっちが不器用なんだか。

    そう、ありえないほど丁寧な手つきに自然と浮かんだ綱吉の笑みも、骸の視界には映らず。
    不器用な二対の手は対する敵を薙ぎ払うべく、各々の獲物へとそえられた。



                                                                                                                                                          09.01.16UP