マフィア風情などと慣れ合いたくない、と骸が吐き捨てれば情けなく眉を下げる。
それが沢田綱吉という男だった。
困ったように、けれどもどこか当然だろうと受け止めるように。
否定も肯定もしない曖昧な表情こそが正しく彼の立ち位置で。
たとえば、そう、
その日も同じように歪な空間が骸の前に在った。
「……こんな下らないもの観てるほど暇なんですか?」
ボンゴレ。
投げかけた声にびくりと向けられていた小さな背が震える。
「む、骸?!」
ちゃんと鍵もかけてたのに、また不法侵入かよ!なんて叫んでいる綱吉の元へ骸は両足を進める。
たった数歩でたどり着き、隣へと腰かければ綱吉は口内で低く唸って狭い部屋の中、わずかでも距離を取ろうと後ずさった。
構わずに骸は二色の瞳を机を挟んだ先、音を届かせるTVへと向ける。
四角の画面では耳慣れたイタリア語が剣呑な響きで飛び交っていた。
「何てベタなんでしょう」
下らない。くり返せば、じろじろとこちらを窺っていた綱吉の瞳が大きく瞬く。
「…ゴッ●フ●ザーってイタリアでも定番なの?」
「マフィア映画といえば名が出る程度には」
「ふーん、そうなんだ…」
感慨もなく頷く姿はわざわざこの映画を選んだ観ていた者とは思えない。案の定、彼は家庭教師が用意したものだとあっさり教える。
「『定番っつーものも知ってて損はねえだろ』って言うんだけど、オレにはどうしたら損にならずに済むのかが分からないんだよな」
と、ため息すら付けて。そんな観賞者としてまるでよろしくない態度を全面に出しながら、何と机にのった菓子すら食べだす始末。
(その時骸にまでも勧めてきたのは本当に度のつくお人好しというしかないが、それはまた別の話だ)
よどみなく流れる午後の時間と同じく、映画も進んでいく。
関心のない様子がはっきりと表れた綱吉の前、物語は裏社会の暗部を映し出していた。
暗く黒々とした世界。対照的に綱吉の部屋にはさんさんと陽が当たり、変わりない空気が流れている。
「…オレはマフィアのボスになんてならないのに、さ」
ぽつりと落ちた言葉の向こう、マフィアに染まり切った青年の姿が消えていき、エンドロールが画面を埋めた。
その最後の時まで、ほとんど目をそらさずに綱吉は呟く。
マフィアのボスになんてならない。そう、くり返した。
ボスになんてならない。
短いその言葉にためらいが生じ出したのは、いつからだったか。
「…腕を広げて」
成長期を終えてなお、骸より一回りは小さい身体を見下ろしながら思いだす。
少なくとも、そう、こんなにも近い距離を当たり前に感じるずっと前から綱吉は心の裡に躊躇を抱えていた。
きっと守護者という言葉で括られる仲間とひとり出会うたび、迷いは深まっていたのだろう。
「少し、顎を引いて」
襟足から腰骨までの一直線をたどりながら骸は苦笑をかみ殺す。
伸びるごとに音を立てる手元のメジャーと同様に、綱吉の中でゆらゆらと揺らいでいた天秤はゆっくりながら確実に、一方へと嵩を増していったに違いない。
ひとえに大空であるがために。
「……相変わらず短い脚ですねえ」
揶揄を含んで話しかければ、珍しくも大人しくしていた綱吉がようやっと沈黙を崩した。
「短くない、お前らが長すぎるんだ」
「おや、褒め言葉ですか。それは有難く頂戴しておきますけれども、お前“ら”なんて複数を相手に短さを語るのは少々むなしくありません?」
くふり。と笑いを落とせば、沈み込みそうであった空気が揺れる。
冷から暖へ。温度がわずか上昇する。
「どーせオレはお前たちみたく恵まれた体型じゃあないよ!」
「そうですねえ。わざわざオーダーメイドでスーツを作らなきゃならない程度には特別、ですからね」
「……お前、ほんと、嫌味」
「今頃気づいたんですか?遅すぎますよ」
軽口をたたき合って。そうしてなお、上がり切らない綱吉の感情に骸は内心ため息を零す。
オーダーメイドのスーツ。それを作るために今、骸と綱吉はここでふたり、時間を費やしている。
腕に背に脚。いくつものサイズを骸が測っているのだ。
そんな近さで綱吉にうずまく思いを悟れぬはずがない。
綱吉君。
呼べばぐ、と顎を引く。
まろやかな頭を見下ろしていれば、綱吉はひどく出しにくそうに言葉を紡いだ。
「オーダーメイド、なんて。ほんと、縁のないモノなつもりだったんだけどなー…」
一般庶民じゃあ馴染むこともないシロモノだろうに。そんな風に言葉を上乗せる姿は傍から見ればまるで変わりない綱吉に見えるだろうか。
―――だが、彼は正確に気づいている。
服のサイズなんて簡単なものすら、もう他人には測ってもらうことが出来ぬ立ち位置にいるということを。
作り物とはいえマフィアの世界を菓子片手に平然と観ていたころの強さはもうないのだと、自分を嗤っている。
「…弱くなった?」
耳元へささやけば綱吉の全身へ緊張が走った。
そしてそんな些細な動揺すらもすぐさま押し込めようとする綱吉に、骸は両腕を回す。
「弱くなればいい」
「っ、骸」
抗おうとする四肢を抑え込むように強さを増しながら、くり返す。
「弱くなればいいんです。その分、僕がいるんですから」
あの頃にはなかった距離に自分がいるのだと、言葉よりも明瞭に身体を寄せる。
苦しさすら感じそうな近さで、ようやく、綱吉の身体からわずか力が抜けた。
ほんの少し、骸へと寄りかかってくれる。
僕がいます。
そうささやいても、なお、その双眸は振り向いてはくれないけれども。
今も昔も、どれだけ矛盾を抱えていても。
決して瞳をそらさないのだと、彼だけが気づいていない。
09.09.02UP