あの騒々しくわがままで、いつだって大切に甘やかされていた存在。
注がれた愛情と共に伸びた手足と曲がることのなかった気性。そこに生来のイタリア人らしさ加わって生意気にも女好きな優男へと育った小さな弟分。
15という歳になって、それでも獄寺と変わることのない関係を築けていた仲間のうちの一人。その少年が見せた初めての姿は獄寺の目を見開かせるに十分で。
―――大丈夫、ツナ。
見えぬ後ろ姿の向こうは、呼びかけた声音からたやすく予想がつく。
きっと、絶対、10代目と同じにまっすぐな笑顔。
いつの間にか成長していたランボに驚くべきか、
“アホ牛”と未だに呼んでしまうこいつに辛抱強くも眩く尊いものを教え込めた10代目に感嘆するべきか。
生じた感情はいずれも獄寺の根底へと降り積もっていたが、面へと表れたのはただ一つ。
泣かせずに済んだ小さな綱吉にホッと安堵の息を吐くことだった。
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が、胸をなで下ろすのもつかの間。
ここにきて非常に、極めて、何とも、難しい局面へ獄寺は陥っていた。
「……あの」
という極小さな一声にもびびくっと飛びあがる片腕で抱え込めそうな身体。
「ふ、は、ふぁいっ!」
裏返った返事そのままにまん丸い両目は今にも揺らいでしまいそうで、獄寺の内心は滝の汗を流す。
綱吉と獄寺の間には1m以上の距離。…和やかな光景とはまるで遠い状態だ。
不測の事態に慌てたランボがボビーノへ駆け戻る直前、“自分たちは敵ではない”と教えていった為、綱吉が必要以上に怖がることはない。
けれど、見知らぬ場所で見知らぬ大人たちのただ中に残されることがどれほどに心細いことか。
想像がつくから、獄寺は身動きが取れない。
自身の相貌がけして子ども受けするような造りでないと分っているから、余計に。
とりあえず“しゃがみ込んで目線を合わす”という子どもに対するにおいて基本的なことはクリアできていたが、
それも単に獄寺が綱吉を見下ろすなんて恐れ多いことができなかっただけで。
……ど、どうすればいいんだ…っ。
子ども嫌いだと堂々と宣言してきた人生。触れ合ってきた存在などランボにイーピンぐらいの獄寺には取るべき行動がまるで見えない。
まさかあの打たれ強い子どもたちのように、どたばたと爆音に満ちた触れ合いをするわけにはいかないだから。
―――落ち着け落ち着け落ち着けオレ、あのランボですら出来たんだ。10代目の右腕として長くお傍に居させて頂いているオレに出来ないはずがねえ!
ぐるぐると混迷に堕ちてしまいそうな思考を奮い起こして、立ち上げるのは中坊のころから目にしている優しさの塊―――つい先ほど、ランボが見せた所作の大本。
おそらく、それこそが何よりも綱吉を安心させるだろう行為だと、分かっているから。ランボだけではない、獄寺の内にも焼き付いている姿を思い起こす。
翳りひとつない笑顔で温かく呼びかけていた、彼の姿。
鮮やかに再生されたそれに、獄寺は凍りつくように押し黙った。
「………、?」
唐突に生まれた獄寺の沈黙に気を張っていた綱吉が怪訝を浮かべる。
そうして心優しいその少年はおずおずと、ためらいながらも問いかけるよう口を開いて。結局音に出せぬまま、それでも一歩距離を縮めてくれたのだ。
幼い綱吉からこちらへと歩み寄らせてしまったことに固まっていた獄寺は大いに慌てる。
これではあまりにも情けなく。また、申し訳なくてたまらないから。
「あ、あの!……け、ケーキでも、食います、か?」
「………ケーキ……。…でも、お母さんが知らないひとから食べものもらったらダメだって」
言ってた。そう締めくくられた言葉の中、“知らないひと”に大ダメージを食らいながらも獄寺は出来うる限りの笑みを心がける。
それは綱吉少年の身体全体からケーキに対する期待が見えたためであり、“そこまで”なら躊躇なくなぞらえることができるからだ。
奈々の素晴らしい教育に心中手を合わせながら、獄寺はもうひと押しを発した。
「ランボも言いましたけれども、ここにいるのはみんな貴方の味方です。それに困ってるひとには優しくしましょう、とも言いますから」
どうでしょう。問いかけた声の、こと最後の台詞の効果は絶大で。
大きく瞬いてから表情を緩め、頭をさげて『いただきます』ときちんとした挨拶をする綱吉に気負わぬ笑みが出る。
予想通り、奈々はこの教えを綱吉に伝えていて。
こういう言葉をさらりと生み出せるようになるほど、綱吉はなんども獄寺の前で実践して見せている。
優しく。
少しでも綱吉に近く、獄寺も幼い彼へと接することができていればいいのだけれども。
「………、ごちそうさまでした」
ぷは、と満足そうな息をはいて手を合わせる綱吉にミルクを入れながらさて、と獄寺は思案する。
綱吉を覆っていた緊張を解すことはできた。が、この後もその空気を維持すべき術がやはり未だ見つからないからだ。
いくら消化のよい年ごろとはいえ食べ物ばかりで釣るわけにもいかない。
かといって……そう呻きそうになる思考を飲み込む獄寺の脳裏にひらめき続ける一つの手段。
それはなぞらえるよう浮かべた綱吉の姿の中で獄寺が形にできていないもの。
無理だ、と。可能か不可能か天秤にかけるまでもなく、何度となくその答えが出る術。
だが、模範とすべき対象は聖書につづられる訓え以上に正しくて。
ならば、やはり自分はそれにそって行動すべきではないか。
―――ごくり、と固唾をのんで。固まりそうになる唇を何とか押し開く。
「……あ、の……………、…………じゅ、………、…」
マグカップを両手に見上げてくる薄茶の瞳。
挙動不審な獄寺に、負の感情をのせるでもなく黙って待つその姿。
本当に、身体なんて“規格”にはまらない、大きな人物だと思う。
だというのに。
「その………、……、…」
「よう、ツナ!小っちゃくなっちまったんだって?」
バタン!と跳ね返りそうに勢いよく開かれた扉。そのタイミングの悪さ、底抜けた声は顔を見るまでもなく分かりきっている馬鹿のもの。
「っ、山本、てめぇ」
「お、獄寺が面倒みてたのか。よく泣かさなかったのなー」
声も高らかに大声で笑い出す新たな大人に、獄寺へと据えられていた瞳は呆気にとられたように外され。
気がついた山本が開いていた大口を閉じてふわりと手を伸ばす。
「お、軽ぃーな」
「っわ」
「ほーら、高いたかーい」
「ぅううう、わ、ちょっ…お、お兄ちゃん…っ」
「お兄ちゃん、ねえ。なーんか、ちっと照れちまうな」
ぎゅっと掴まえる小さな手と、落とさぬようしっかりと抱え上げる不遜な馬鹿の腕。
あまりにも自然になされた行為は妙にしっくりと獄寺へ映り、放とうとしていた叱責もろともに口を閉ざす。
あっという間に山本の独壇場だ。
非常に、面白くない。が、これは手段を選べずにぐずぐずとしていた獄寺に非があることで。
何より綱吉がリラックスしてくれればそれに勝ることはないから。
けれど、
「しっかしホント小せぇのな」
「も、もう少ししたら大きくなるもん」
「お、そーだな。男ならでっかい夢持たなくっちゃなー」
「絶対なるもん!」
「おう。楽しみにしてるぜ…って、そういえば、いくつなんだ?」
ツナ?そう問おうとしたのだろう口を不意に塞がれる。止めたのは山本が腕に抱えた綱吉の右手。
といっても今や20年の差がある二人だ。当然、花びらのような手のひらに留めきれるほど山本の口は小さくはなかったのだけれども。
「だ、だめ。………きらきらのお兄ちゃんが、先」
止められた山本よりも綱吉の方がよほど慌てた顔をしているのに、戸惑いを含む薄茶の瞳はひどく真っ直ぐで。
だから、山本の言葉はたやすく止まってしまったのだ。
20年経とうともまるで変わらない、大空の瞳に。
「う、えっと…あ!その、年、5さいです」
「…おー、そっかあ、一年生ってとこかー」
言いながらちらちらと獄寺へ向けられる二対の視線が。
ひとつは可笑しげで、ひとつは柔らかく。
どちらもが、獄寺の言葉を待っていた。
「つ、」
「「つ?」」
ハモって聞こえた一方は無視を決め込んで。
「つ、……………つな、よしさん」
ようよう呼びかければ、朗らかな声で頷かれる。
変わらぬ寛大さ。
だが、発した名のあまりもの大きさに耐えきれず捲し立てるように次を紡ぐ。
名を呼ぶ非礼に対する詫びと気遣いに対する礼。いまさらな自己紹介まで長々と続けて―――その際堪えきれないとばかりに噴出した
馬鹿野郎には綱吉から見えぬようにガンつけをして―――そうしてゆるゆると顔を上げれば、にっこりとほほ笑まれる。
「はやと、おにいちゃん?」
確認するよう小さな口をゆっくりと動かして、綱吉は獄寺を呼んだ。
その初めて耳にする音の、未だかつてない衝撃にめまいを抑えるよう額へと手をつく。
名を呼ぶのも呼ばれるのも。
慣れるなんてとてもじゃないが出来そうにない。
情けなさ更新中の獄寺は遠くなりそうな気の中、
すんません右腕失格です…。そう何に対してかよく分からない謝罪を捧げた。
09.03.08UP