綱吉が彼の誕生日を知ったのは、本当に偶然で。
    たしか知りあって一年は経ったころ。大型連休も終盤のその日、いつものように母の使いで和菓子屋を訪れていた際でのことだった。
    こじんまりとしながらも甘やかなその空間にひどくそぐわない姿を見て、ドアを開けたままの姿勢で固まっていたところを発見されたのだ。

    お使いですか?

    そう問われたことに頷けたのは快挙といってもいいだろう。
    休日にも関わらずしっかりと整えられたリーゼントに驚きと感心を半分半分に覚束ない会話を交わして。
    そうして、腹心にふさわしく委員長を補佐している男から教えられたのだ。
    一年目のそのときは『…あ、じゃあ、あの、…おめでとうございますと、伝えていてください』なんて、どうにも間の抜けた言葉で終わり。
    次の年、また同じ店で会った彼に少し悩みながら今度は“並盛団子”も添えて。
    三年目の今年。
    黒革張りの扉の前で、どうしてか佇んでしまっている。
    なかなか振り下ろせないでいる右手の反対には件の和菓子屋の包み。
    もう、何分経っただろうか。和菓子屋にいた草壁など目じゃないほど不審だと綱吉自身ですら思う。
    けれども。
    二年目の春から約半年後、己の誕生日の日に母から渡された“もの”と“言葉”を思い出せば引き返すこともできない。

    深く息を吸って、目を閉じて。
    ようやく、目的の場所へと向かう。
    開かれたその先で彼は言った。
    遅いよ、と。柔らかく。


    去年の秋、学校から帰った綱吉に母は“並盛団子”の包みと“おめでとう、はちゃんと聞くまでお預けだ”という伝言をくれた。
    三度目の今年。
    綱吉の声でもってして伝えられた“おめでとう”は雲雀の笑顔というひどく貴重なものを見せてくれた。





                                                                   09.05.05UP