【いかばかりうれしからましもろともに 恋ひらるる身も苦しかりせば】
その歌を耳にしたのは使い慣れた自分の机がある部屋の中。
書き連ねていた和歌のうちにはない、けれど有名だと教えてくれたもの。
結局、その意味を調べる前に綱吉たちは10年もの時を超えた場所へと遠く流されてしまっていたが。
―――あれはどういう意味があったのだろう。
二段ベッドの上、真新しく薬品臭い枕に頭を押しつけながら、綱吉は思う。
記憶力にとんと自信のない己がこの一首を思い出すきっかけとなった出来事。
それは身を乗り出して下をのぞき込めばすぐに目に入る、獄寺によってのことであった。
人のものだろう、とためらった綱吉にどうせ自分のものなのだから構わない、と。そう言って獄寺は豪快に“10年後の獄寺隼人”の荷物をばらまいた。
そして出てきた手紙からいくらかの情報を得て、吟味する間もなく熱烈な――おそろしく容赦のない――ラル・ミルチの歓迎を受けたから、
きちんとその歌を認識しなおしたのはほんの数時間前のことだ。
手紙以外にもなにか有用なものはないかと改めて荷物を確認しなおしていた獄寺の横、何の気なしにその作業を眺めていた綱吉は
不意に息をのんだ獄寺にぼんやりとしていた思考を立ち戻された。
指輪のはめられた右手には革のサイフ、そして左手にはくたびれた一枚の紙。
時間が経って変色している以外には特に変わったこともないただの紙切れに、獄寺は灰緑の双眸を外すことなく向け続けていて。
どうしたのだろう、と湧いた疑問のまま綱吉も紙面を追えば
下手くそな己の字がおどっていたのだ。
【人を思ふ心は我にあらねばや 身のまどふだに知られざるらむ】
書きつづられていたのはこの一首。けれど浮かび上がるほど己が胸に印象的によみがえったのはノートの一切れがほしいと言った獄寺が紡いだ歌の方。
だが、綱吉に見られたことに気がついた獄寺は慌てて
『や、これはその!オレ大切なものをサイフに入れる癖があって、つか、あのたぶん頂いたときに入れっぱなしになってたつか、
あ!10代目に貰ったものはそりゃあ厳重保管クラスの大事なもんなんスけど!その…』
と、本人すら訳が分からなくなる事態に陥り、歌の意味を訊くことができなかったのだ。
―――どういう、意味、なんだろ…。
ぼんやりと不明瞭な視界。今、目を閉じているのか、開いているのか。
夜に沈む綱吉には判然としない。
けれど
あの森の中、凍りついたように固まった見慣れぬ姿――その内に歪む灰緑。
見たこともない悲痛さは綱吉の心奥深くへ刻まれ。
未来なんて訳のわからぬ状況に対する不安に、恐れに、戸惑いに。息を殺して涙を流した後、浮かびあがるようにただひとつ思う。
その姿が表情が、悲しみが胸に残る。
慌てふためいた獄寺が『他には何も情報ないみたいッスね、すんません』と謝りながらも丁寧にしまいなおした、変哲のないただの紙。そこに含まれた意味が。
気になるくせに訊けない臆病さ。
いつか訊けるだろうか。
たとえば、そう…
ふわりと包み出した眠気に身をゆだね、綱吉の思考は収束していく。
…獄寺とともに過去へと戻るころには。
呟くように内心へと落とした声は、綱吉の柔らかな部分をたしかに撫でていった。
09.03.15UP