いつものように訪れた綱吉の部屋で、いつもと同じく笑顔で迎えられる。
けれど、いらっしゃい、とそう微笑んでくれた人の前にはいつもと違うものが並んでいて。
「ああ、これ?リボーンに課題だって渡されちゃってさ」
疑問が顔へと表れていたのだろう。即座に教えてくれた理由は獄寺の胸に納得という形で落ち着いた。
部屋の中央に位置する机の上に広げられた一冊の薄い本とノート。
転がる消しゴムの周りには消し屑がいくつも落ちていて綱吉がけして短くない時間この課題へと取り組んでいたのが分かる。
「……和歌、ッスか」
「うん、そう。この前のテスト見つかっちゃってさ。覚えるまで叩き込めって」
テスト、というのは3日前に返された古典のものだろう。教師に返された際、泣きそうに歪めていた綱吉の顔を思い出す。
(それに怒った獄寺がダイナマイトを取り出そうとしたごたごたで、結局彼が悲嘆にくれる時間はひどく短かったのだけれども)
暗記が苦手なのだと、綱吉は言っていた。
それを踏まえれば【書く】という行為は記憶に上手く繋がることが多いし、綱吉に向いている学習法だと思う。
ただの跡目教育だけでなく満遍なく指導するリボーンらしいと感心するばかりだ。
が、
「オレってほんと頭悪いし、勉強嫌いなんだけどね。
なんか周りのみんなが一生懸命教えてくれるようになったら、ちょっとはさ、頑張らないとなって思えてきたんだ」
気づけて、そうしてようやっと生まれたちょっとした変化もある。
書きかけの歌の最後をしめくくりながら、たとえばね、と
そう綱吉が続ける。
「歌っていうだけあって響きがきれいだな、なんて考えもしなかったよ、少し前までのオレなら」
こういうのがちょっとは好きだな、なんて。少しは成長することができたのだろうか。
照れを含んだ言葉とともに、飛び出た芯をしまうべくノックされたシャーペンの下。
書き連ねられた歌を獄寺は瞳で追う。
【人を思ふ心は我にあらねばや 身のまどふだに知られざるらむ】
古今集に詠まれた歌だったか。脳内で検索され、はじき出された答えと現代語訳に
瞬時、息を飲む。
「……獄寺、君?」
「え? あ!いえ、なんでもないです!!」
「…なんでもなくはないよね」
「いや、本当に!何でもありません!この通り、元気です!」
「元気かどうかは関係ない気もするけど。…まあ、いいか」
追及の手を緩めながらも疑わしそうな綱吉の表情。
罪悪感に痛む胸は、だが、それ以外の理由でも揺れていて。
―――いつもなら獄寺を頼みのつなとしてくれる勉学に、ひとり勤しんでいた姿を見たときの感情。
頑張らなければ、と。成長できただろうかと、柔らかく告げる声。
なによりも好きだと指し示された和歌に震えた己の心が、どうしようもなく。
「………あの、10代目」
「なに?」
「このページ、一枚もらっちゃダメですか?」
「一枚って…もしかしてこのきったないノートのこと?」
「そうです。汚くは全くありませんけど」
「獄寺君、ホント、眼科行ったほうがいいよ…」
呆れたように向けられたセリフ。だが、綱吉はなぜと問うこともなく、迷いもせずに獄寺の望みをかなえてくれた。
「待たせちゃったお詫び。こんなもので良ければもらってやってよ」
手渡された一枚の紙切れ。
込められた歌が綱吉の言葉にさらなる重さを増した気がした。
「………いかばかりうれしからましもろともに 恋ひらるる身も苦しかりせば」
「……時々、獄寺君のその頭脳が憎らしくて仕方ないよ…」
「え?!な、あ、あの!でもオレの頭は10代目のためにしか働きませんよ?!」
「………目だけじゃなくって脳の方もかなあ…」
より一層深まった嘆息に心底慌てる、そんな獄寺を見て
綱吉は寄せていた眉をすぐにおかしそうに緩ませた。
「うそ、ごめん。獄寺君の頭脳もそれ以外もすごく頼りにしてるオレが言えたことじゃないよね。
さっきのも有名な歌なんでしょ?」
教えてくれ、と包みこむような寛大さ。
その優しさに零れおちた和歌の意図を覆い隠す。
綱吉が言うようにきれいな理由じゃなく、とても身勝手な響きを
だが、乞われるままに再度つむいで。
いつか、伝えてしまう日がくるのだろうか。
頼りにされたいと望む気持ちも、ただ一人、と手を伸ばす愚かしさも。
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・人を思ふ〜
訳)あの人を思う心は、あの人の所へ行ってしまって、もう自分のものではないようで。
だから私の体が戸惑っていることさえ、自分の心であるのに、私の心はわかってくれないようです。
・いかばかり〜
訳)どれほどうれしいことでしょうか。思い慕われる身の方も、同じように苦しいとしたなら。
09.02.21UP