追いかけて、追いかけて。
    息が切れそうなほどの、その距離。
    喘ぎに目を逸らした瞬間、あっさりと消えてしまうもの。

    「      」

    呼ぶ声を求めて。
    そうして、今日もまた―――





    今月に入ってもう三度目か。
    じっとりとはり付くシャツの感触を逃すよう、獄寺は胸元へ手をやる。
    そのまま空いた左手で冷房のリモコンを探って、そして未だ夜が明けていないことを悟った。
    3時か4時か、その辺の微妙な時間。
    汗の不快感がさらに増した気がした。

    「―――っ、クソ」

    全く地球に優しくないだろうほどに強く冷房を利かせて、そのまま落とすように横たえる身体。
    枕に埋めた横面から漏れそうになる呻きを必死に噛み殺した。
    ぐっと込めた力が抑えろ、抑えろと両腕に食い込む。
    夜は、心の裡を揺さぶる。けれど、表に出すわけにはいかないのだ。欠片でも。
    夢の残滓を形にするわけにはいかない。
    唱えるように己へ呟く。

    ああ、でも…。

    あの優しい人は些細な変化をも聡く気付かれるから。きっと、心配をかけてしまう。
    隈のひとつも作るわけにはいかないだなんて、まるで少女のようだけれども。
    ならば、ほんの少し。
    眠りに落ちることができるほどには、吐き出してみてもいいのだろうか。

    「…………じゅう、だいめ」

    微かに空気を震わせたのは、ためらいを重ねたのちの音。
    獄寺にしか届かぬそれは放たれた途端、溢れるように輝きだす。
    特別なその名。

    ―――ツナ。

    不意に再生された声音にびくりと身体が強張る。
    それはおそらく獄寺が一日の内で二番目に多く聴いているだろう、声。
    記憶するほどには共に居て、彼の人が照れくさそうに大事だという空間の、その一角。
    こんな時間が好きだと眉を下げながら言ったのだ。

    壊すことなんて、出来るはずがない。

    今にも、夢にも、何度も手を伸ばしそうになっても。
    壊せないのだ。

    たとえ、雨があの大空に柔らかく降り注ぐとしても。


    きつく、きつく閉じたまぶたの向こう。
    浮かんだのは、陽のあたる屋上の風景。


    見えるのは、それでも三人一緒だなんて。




                                                                      09.06.20UP